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KEI_HAYASHI、自身の音楽人生を振り返る【新曲『大逆転』ロングインタビュー前編】

 

北海道出身シンガーソングライターのKEI_HAYASHIさんが2月26日に『大逆転』をリリースしました。今回ご縁がありインタビューが実現し、1.5万字というロング・インタビューのため前後編2部作でたっぷりとお話を伺っております。


前編では幼少期のエピソードから恩師である先生のお話、上京後のお話まで語っていただきました。

 

 

 

 

10代で音楽を教えながら、声楽へ通い磨いた歌声

――KEIさんは10代で既に音楽の先生 として アルバイトをされていたということですが、本当ですか?

 

KEI_HAYASHI(以下、KEI):そうですね。ちゃんと先生になったのは18、19歳だったと思います。

 

――音楽の先生として一人前になったのが、18歳ぐらいということでしょうか?


KEI: 一人前ではないのですが、ちゃんと“月額いくら”でという形でお金をもらってたというのがそれぐらいだったかなと思います。

 

――人に教えることによって、より音楽を深く理解できたと思われるんですが、今の音楽活動につながってると思うことがありますか?

 

KEI:面白い質問ですね。全てがやっぱり繋がってるとは思うんですけど、音楽を教えるにあたって、改めて音楽と向き合う事がおのずと増えるというか。
例えば「どういう風に教えたらいいのか?」というところで、改めて自分の知識を再確認しました。それは音楽のハーモニー、和声の理論であったり。作曲を教えるという立場になった時に、どういうものが「いいメロディ」なのかっていうところを分析したりとか。
再現性の高い形に落とし込めるかどうかというところが、自分の中で教えるときはポイントかなと思っていて、 アーティスティックの面ではないけれども、その再現性を高く保てる曲作りであったりとか、すごく役立つかなと思います。

 

――KEIさんの作る楽曲の魅力の一つは、声を重ねて作るコーラスワークだと私は思っています。声楽の先生に通っていたというお話をインタビュー記事で拝見しましたが。

 

KEI:そうですね。歌も高校生ぐらいから札幌で声楽の先生に習っていて。20歳ぐらいになってからかな? 札幌から飛行機代を出して東京へレッスンに通っていた時期もありました。

 

――何人か声楽の先生に指導をいただいたと思うのですが、どういう先生でしたか?

 

KEI:ボイストレーナーってすごくいろんな種類があって、札幌でオペラ歌手として活躍されてる先生や、ポップスを歌う先生に習ったこともあります。

東京でレッスン代を出して通っていたのは、日本のボイトレ界ですごく有名な先生がいらして、高い声を出せる本っていう著書で有名な先生なんですけど、その方に高音の出し方を専門的に習っていたこともありました。

 

――実際にライブを観たとき、高い声がすごく印象的でした。綺麗にビブラートがかかった揺らぎのある高い声は、声楽の先生の教えであると。

 

KEI:そうですね。それはもう間違いなく、色んな先生の教えと練習で出るようになってきています。

 

 

厳しいとはいえ、すごく身になって実を結ぶものが大きかった。

――ちなみに、エレクトーンを習った先生がすごくスパルタな先生だったそうですが

 

KEI:そうなんです。藤田先生っていう先生なんですけど。6歳からエレクトーンを習っていて。

先生が独立して音楽スクールをやられて、そこで自分が先生で雇ってもらうって形だったので。付き合いとしてはだいぶ長く、未だに連絡を取り合ったりする関係です。

 

――じゃあ付き合いは25年、もうちょっと30年ぐらいですか?

 

KEI:確かに!そう、もうちょっとで30年ですねぇ。

 

――私も子供の頃に習い事をしてました。その先生はまだ現役ですが、20年以上お会いしてないです。

 

KEI:いやいや、自分も人とのつながりを長いこと保つ人は、数える人ほどしかいないです。藤田先生は自分の人生の中でやはり特別な人です。

 

――すごい大きな運命の扉を開くというか、入り口というか。


KEI:そうですね。藤田先生と出会ってなければ、多分こんな形で音楽をやっていないと思うので。やっぱり厳しいとはいえすごく身になって実を結ぶものが大きかったです。

 

――得るものが大きかったということですね。

 

KEI:そうですね。間違いなく。

 

 

 

音楽業界の変化を受けて――自分も一つの作品として、歌を唄ってみたい。

 

――裏方として活動された頃、本当に何か伝えたいと思ったメッセージは自分自身で発信しないと伝わらないと思ったという出来事についてお伺いしてもよろしいですか?

 

KEI:もちろんです。そもそもどうしてその音楽をやっていて、まず裏方を選んだかっていうところから、ちょっと説明させてください。
元々ステージに立って歌ったり、演奏することはすごくとっても大好きだったことなんですが、私、目が不自由で暗いところが見えないという障害があって。

それであんまりライブハウスに行ってライブをする……ということに対してすごく抵抗があったんですよ。なので大好きな音楽を職業にするんだったら、裏方なのかなという。決して裏方という仕事自体ではなく、自分自身の体のことを考えて……今考えるとある種、消極的な思いがあったと思います。

 

その中でご縁があり作家事務所に所属することになったのですが、音楽産業には変化がすごくあって。作曲家というのは少し生々しいですが……著作権で印税いただく職業なわけじゃないですか?

それが20年前のCDが売れてた時代っていうのはすごく良かったけど、CDっていうものが、音楽を売る手段からファングッズに変わってきたっていうのが、2010年代にかけて起こった変化かなと思うんです。
私が作家事務所に所属したのは2010年代の頭ですが、それがすごく加速していった……ということを感じていきました。やっぱりこう作曲一本で音楽を表現することには限界があるなっていう風に感じたのが正直なところでした。

 

――配信が登場した結果、音楽がもっと身近に手軽に聞けるものになってきましたよね

 

KEI:だから、いわゆる音楽っていうものが……なんだろう。作品性、単体としての作品というものから、属人的なものにすごく変わっていったってことだと思うんです。
CDという音楽レコード産業の衰退によって起きたことは、音楽がより属人的になった。「誰が歌ってるか」とかがすごく重要となってきたと思ったので、自分も一つの作品として、歌を歌ってみたいという風に思ったという感じです。

 

 

自分のストライクゾーンにパッと初めてきた邦楽のミュージシャンだった

 

――KEIさんの音楽性に影響を与えた ミュージシャンとしてスティーヴィー・ワンダーのお名前をあげていて、その際にテレビCMを見て衝撃を受けたとおっしゃってましたが、缶コーヒーのCM("To Feel The fire")ですか?

 

KEI:そうです!

 

 

――私も記憶に残ってます。あのスティーヴィー・ワンダーの曲。

 

KEI:すごく衝撃的でした。CMってすごく音楽との出会いがありますよね。

 

――ちなみにインタビューの中ではSkoop On Somebodyさんもインタビューの中で唯一アーティストとして邦楽でお名前あげてましたが、彼らの音楽との出会うきっかけを、よろしければお聞かせいただけますか?

 

KEI:多分一番最初に見たのはテレビ番組だったと思います。

 

――テレビ番組から?

 

KEI:はい、2000年ぐらいですかね。"Sha la la"が出るちょっと前、"Eternal Snow"の頃だったと思います。小学校3、4年生ぐらいのときに「わ、すごいかっこいいな」っていう衝撃を受けました。

先ほどコーラスを褒めていただきましたが、ちょうどその2000年ぐらいが、いわゆるR&Bのコーラスグループみたいなものが出てきた時代だったと思うんです。日本においては、例えばアカペラだったらハモネプみたいなものって特権を得た時代だったし、ゴスペラーズさんがいたのも大きかったですね。

 

 

――CHEMISTRYさんも出てきたし、多重コーラスの上手いアーティストもどんどん出てきましたね、R&Bで。

 

KEI:そうですね。そういう、ある種そういうミーハー心というか。Skoop On Somebodyさんのテレビでの出方も、楽器をすることもあったけど、コーラスユニット的な扱いで3人立って並んでコーラスするみたいなシーンもあって。

もう本当に小学生ぐらいからBoyz II MenとかTake6とか、多重録音とかコーラスグループがもうすごく大好物になっていましたので。そのとき、Skoop On Somebodyさんにどっぷりにハマったというか。自分のストライクゾーンにパッと初めてきた邦楽のミュージシャンだったなというふうに思います。

 

――そうだったんですね。TAKEさん、KO-HEYさん、KO-ICHIROさん、あの三声のハーモニーは惹かれるものがありますよね。

 

KEI:そうですよね、とても素敵ですよね。

 

すごくNORTHWAVEの皆さんには感謝しています。

 

――"Keep Calm and Carry On"とか"ONE GROOVE ONE NATION"で、憧れのSkoop On
Somebodyさんとの共演を果たしを表舞台に出るなんて本当に素晴らしいです。



 

KEI:いやいや、それはもう本当に皆さんのおかげで。自分が表舞台に立ってから、一つ夢にしてきたことではあったわけですけど。ずっとSkoop On Somebodyさんと一緒にできたらなぁとか。どんだけ時間がかかるだろうと思ってたことが、本当にたまたまですけど、2,3年ぐらいで叶えることができて。

でも、あれは北海道で今自分がレギュラーラジオ(KEIHAYASHI's All That Jam)を持ってい
るFM NORTHWAVEや、番組を共にしていた笠原瑠斗さんや泉亮さん、EIMAIさんとか。彼らがそのTAKEさんと僕の縁を繋げていただいたので。そういう意味ではすごく
NORTHWAVEやみなさんには感謝しています。

 

――KEIさんとSkoop On Somebodyさんを繋げたのは笠原瑠斗さんだったんですね。

 

KEI:正確に言うと"MOL"という、笠原瑠斗さん、泉亮さん、EIMAIさんの3人組のグループがあり、MOLが東京でライブをする際にフレンドアクトみたいな形でお誘いをいただきまして。瑠斗さんとTAKEさんが元々お知り合いで観に来てくださったことから始まったんです。

 

――そこで結びつきが生まれたと。

 

KEI:そうなんです。本当に頂いたご縁でした。